学習塾の長時間労働・連続勤務の背景(第1回)
学習塾における連続勤務・長時間労働の要因
首都圏および全国の学習塾で働く塾人の皆さんへ。
11月末~12月はじめにかけて、首都圏の大手学習塾での労災・過労死問題が報道されていましたが、学習塾ではなぜ精神疾患や過労死が発生するほどの連続勤務が起こるのでしょうか? また学習塾で働く人はどうして働き過ぎてしまうのでしょうか? これは学習塾以外の業界で働く人の感覚では理解できない部分もあると思います。
学習塾の正社員の出勤時間は午後から(13時~14時頃が普通)であるし、授業は夕方から夜(17時~22時頃が普通)にかけてなので、学習塾に子供を通わせている保護者の方を含む一般の方にとっては他のサービス業界(飲食・宿泊・介護・運送業など)と比べて長時間労働が発生しにくいのではと考える人も多いと思います。
でも学習塾で正社員として働く人は単に授業だけをやっているのではありません。授業の準備はもちろんですが、それ以外にも生徒への補習・質問対応・保護者対応・午前中や終業後の各種会議・授業研修・講習用テキストの作成・模擬試験の作成・生徒募集用の各種チラシの作成・校舎の美化や清掃。日曜日の保護者懇談会や入塾説明会・進学情報や進路選択についての各種イベントなど。それこそ平日・休日を問わず授業以外にもやるべき業務が膨大にあり、午前中の出勤や帰りが終電なんてこともあります。塾によっては早朝の校門前配布や終業後の深夜にポスティングを行わせる会社もあります。
学習塾で働く人は総合職なので、教師でも教えること以外にあらゆる業務をこなす事が求められます。特に教室長ともなると、校舎運営の責任者として教室管理や生徒管理、アルバイトの管理はもちろん、校舎の生徒数や売上アップに対する責任も負っています。もちろん必達目標としての売上ノルマもあります。
では学習塾の職場ではどうして連続勤務が起こるのか? また現場で勤務する人が、なぜ精神疾患を発症したり過労死するほど働いてしまうのか? その背景となる要因について何回かに分けて書いていきます。これらの要因は学習塾業界に昔からある構造的な問題でもあります。業界の裏事情も含めて書いていくので、学習塾で働く塾人はもちろん学習塾業界の労働実態をよく知らない方はぜひともお読みください。
学習塾『生徒最優先』の労働観の問題
学習塾業界には昔から『生徒のために』『生徒第一』という言葉が存在します。学習塾の使命・存在意義は何か?それは生徒を志望校合格させることや、生徒をより上位の学校に合格させることである。この目的を達成するため学習塾で働く者は努力を惜しまず生徒の成績向上ために全力で取り組むべきであるという理念を表す言葉です。そしてこの理念は学習塾で働くすべての人の職業倫理や行動原理に大きな影響を持ちます。学習塾で働くすべての人が共有する労働観、労働哲学といっても過言ではありません。
学習塾で働く人は、学生アルバイト講師でも正社員でも、みな生徒思いで責任感が強く、生徒の成績を上げ志望校に合格させることに対して強い使命感を持っている人が多いです。性格はどちらかというとおせっかい焼きで、ボランティア精神に満ちた人もいます。自分の仕事に対して責任感や使命感を持つことはどんな職業にも当てはまるかもしれませんが、学習塾で働く人や学習塾で働きたいと応募してくる就活生には顕著に見られる特徴です。
『生徒のために』という言葉には、正社員・学生アルバイトを問わず、学習塾で働く者にとって自分の使命感ややりがいを鼓舞し、それこそ自己犠牲の精神で仕事に没頭させてしまう魔法のような働きがあります。この言葉を使われると多少の無理をしても教師としての責任感や使命感から率先して働いてしまう(賃金や手当が出なくても・・)人は多いと思います。(注)これは『やりがいの搾取』と言われますが、別稿で説明したいと思います。
私たちは学習塾業界で働く塾人として、この理念そのものをを否定し反対するつもりはまったくありません。
しかし近年この理念が学習塾業界の中で、長時間労働やサービス残業に対する経営者の言い訳として使われたり、社員を長時間無給で働かせるためや、 職場の労働環境への不満を封じ込めるための方便として使われることに強い疑念と危惧を感じます。この言葉には本来そのような意味や役割はないはずです。
この『生徒のために』という理念が学習塾の職場内で自己目的化し拡大解釈されると、どうなるでしょうか。会社(経営者)は『生徒のため』という大義名分をふりかざし、社員がやるべき業務をどんどん増やしていきます。もし社員の誰かがそれに異議を唱えれば、その人は生徒のことを全く考えない、学習塾には不適格な人間だとみなされるので、結局社員は盲目的に従わざるを得なくなります。
そして不思議なことに学習塾業界には正規の勤務時間外の『生徒のため』にする業務は教師自身の自主的な活動だとする不文律があります。したがって業務量がどんどん増え、長時間の時間外労働や連続勤務が発生したとしても、それらはあくまで教師が自発的に(業務命令ではなく自分の意思で)やっているとみなされます。こうした暗黙のルールの下では、当然残業代等は支払われません。また精神疾患や過労死が発生しても教師個人の『自己責任』で片づけられてしまう危険性が高くなります。(注)これは公立学校教員の給特法の影響があると考えられます。詳細は9月30日のブログ参照。学習塾での長時間労働は公立学校教員と類似する部分が多いと思います。
この『生徒のために』という理念は社員の不満を封じ込めるための論理にも使われます。勤務する学習塾の過酷な労働環境について「これは法律違反ではないのか」と疑問を持ったり「何とかしてほしい」と改善を訴えると「あなたは生徒のことを考えないのか?」「あなたは生徒への熱意が足りない!」「時間分だけ働けばいいと思っているなら塾業界には向かないので転職しろ!」と叱責されるのがオチです。
言われた方は教師失格のレッテルを貼られたも同然で、それ以上職場の労働環境への不満を言えなくなります。こうなるとわかっていて職場の労働環境の改善に躊躇してしまう人や、労働条件への不平・不満を口に出せず我慢してしまう人も実際にはかなり多いはずです。その結果、職場の労働環境は際限なく悪くなっていきます。
生徒のためであれば、長時間労働や連続勤務をいとわず、たとえ賃金が出なくても残業や休日労働をこなし、生徒のためなら自分を犠牲にしても全力で仕事に取り組むことが求められているとしたら.・・
生徒のためであれば、自分が勤務する職場の労働条件や環境に問題があってもそれに疑問や異議を持たずに、ひたすら我慢することを求められているとしたら・・
こんな状況が続くかぎり、学習塾業界は「ブラック業界」だと言われても仕方ないでしょう。一方で学習塾業界は、この『生徒のために』という言葉(理念)を、学習塾で働く人にアメとムチのように上手に使い分けて業績を拡大してきたこともまぎれもない事実なのです。
学習塾の職場には、つねに生徒へのサービスを最優先に考えるのであれば、そこで働く人は長時間労働やサービス残業を行うのは当然であり、それに異議や疑問を唱えてはいけない。そのような人は生徒のことを考えない人であり、学習塾で働くべきではないという労働観が存在します。
この労働観が自己目的化し肥大化したことが、学習塾の職場内での連続勤務を含む長時間労働やサービス残業を正当化させ、学習塾での長時間労働が蔓延する要因の一つだと考えます。
次回に続きます。次回はいわゆるワンオペ校舎の労働問題について説明します。近日中にアップします。