ユニオン☆彡ガール(パワハラ編 第一話)

 

 全国の学習塾で働く塾人の皆さんへ。

 今月から、私たちのブログの中で、連載小説『ユニオン☆彡ガール』を始めます。この小説は、ヤマト学院という大手学習塾で働く入社2年目の女性社員、上野菜月が上司からのパワハラをきっかけにしてユニオン(一般労働組合)に加入し、会社(経営者)からの圧力にくじけそうになりながらも、ユニオンの仲間に支えられ、会社の同僚を巻き込んでブラックな職場環境や労働条件を改善していくお話です。

 物語は完全にフィクションですが、今後のストーリー展開の中で、私たちの労働組合としての経験や、全国の学習塾で働く塾人たちから提供された、学習塾の職場で現実に起こっている労働問題などを盛り込んでいきます。また実際の団体交渉の様子や労働基準監督署との交渉過程。組合結成後の会社(経営者)からの弾圧とそれへの対抗手段。会社への争議行為(ストライキ通告や街宣活動)などもできるだけ具体的に小説の中に入れていきます。ユニオン(一般労働組合)の活動についてよく知らない方にもできるだけわかりやいように書いていきます。

 作者は現在、大手学習塾で小学生と中学生に文系教科(主に国語)を指導するベテラン社員です。作者に本業があるので1か月~2か月に1回の不定期連載となります。監修者はユニオンみえのベテラン組合員です。最初の『ユニオン☆彡ガール パワハラ編』は全部で五話~七話で完結する予定です。

 ブラックな職場環境に苦しんでいる方。ワンマン経営者の方針に振り回されている方。自分が働く学習塾の職場に労組を作りたいと考えている方。ユニオン(一般労働組合)への加入を考えている方にはぜひ読んでもらいたいと思っています。

  

ユニオン☆彡ガール (パワハラ編 第一話)

作 中野 甚太   監修 ゆにおん丸

 初めて来た駅を降りても、まだ本当に行くべきなのかとためらってしまう。話したいことはまとめてきたつもりだけど、それでちゃんとわかってくれるのかな? そもそも、こんなよくありそうな話を真剣に聞いてくれるのかな? 私はそんな不安を胸に、駅から少し離れた目的地のビルまでの道を歩いていた。

 アーケードに入る手前で、手に持ったプール用具のバッグでふざけている小学生の一団とすれ違う。まだ学校はプールの授業があるんだ、子どもたちは何の話をしてるんだろう…って一瞬気になって、いや、今日はそんなことを気にしなくてもいいんだ、って思い直す。

 とにかく。今は迷わないように15時までに目的のビルに向かわなきゃ。着いたら、たとえわかってもらえなくても話を聞いてもらおう。来たことはムダにはならないはず。そうやって気持ちを奮い立たせて、表通りから横道へと曲がった。

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 私、上野菜月が新卒で今の会社に入ったのは去年の春のことだ。

 大学での就職活動はまあまあの結果だった。挑戦で受けてみた大手のメーカーやIT企業はさすがに不採用だったが、スーパーのチェーンや外食産業などから3つ内定をもらえた。その中から最終的に、小中学生を対象に県内と近隣県で70校舎を展開する『ヤマト学院』という、この地域では誰もが名前を知っている大手学習塾を選んだ。
 

 理由は、まあ何となく--っていうのが一番素直な答えだと思う。採用案内にあったお給料が他よりもちょっとだけ良かったことと、知名度のある大手学習塾だし、何よりも仕事内容がはっきりイメージできた、っていうことは理由に入るかもしれない。

 それに子どもは好きなつもりだったし。まあ面接では「子どもたちの成長に関わりたい」「子どもたちに勉強を好きにさせたい」といったようなことを型どおりに言ったけど、特にやりたいことがあったからこの会社、学習塾の先生という仕事を選んだわけではなかった。

 入社してからの1年は嵐のように過ぎた。日々の授業とその準備だけでなく、テストの監督や採点、保護者向け説明会や教育イベントの資料準備や受付など、毎週、毎月のように新しい仕事が加わってきた。自然と生活は仕事中心になり、通常の出勤時間よりも1時間ほど早く出勤して仕事を片付けることも増えた。 

 土日は仕事で平日休みというシフトが普通だから、週末休みの一般的な会社に入った大学時代の友人たちともなかなか会えなくなった。夏休みや冬休みといった時期は講習が設定されているので、朝から晩まで校舎で授業という日々を過ごした。

 実家にも、連休が取れる時に3回しか帰っていない。生徒の質問に答えられず、自分の力不足を痛感することも一度や二度じゃなかった。
 

 でも、自分なりに達成感はあった一年だった。子どもたちも次第に懐いてきて「上野せんせー」から「菜月ちゃん」って呼んでくれるようになったし、問題の質問に答えた時に「そっか、よくわかった!」って生徒が帰っていった時には思わずガッツポーズが出た。

 そしてやっぱり、中学入試を受けた子どもたちの合格が出たときは嬉しかった。生徒には「菜月ちゃん、ありがとう。受かったよー!」って飛びつかれ、お母さんにも「本当にありがとうございました」と涙目に言われた時は、こんな私でも、何かの力になれたと思えて嬉しかった。

 この1年、「この会社に入ってよかったのかな・・・」って不安に思うこともあったが、それ以上に毎日が充実していたし、自分でも「塾の先生になってよかった」って思うことがたくさんあった。

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 そんな1年目を終えて、この会社でまた頑張ろうと迎えた2年目だったが、今はもう限界だ。上司からの度重なるイジメに耐えきれない。

 入社時から私が勤務しているN校舎は、70ある校舎の中でも売り上げが特に厳しい。最寄り駅から少し距離がある立地のこともあるし、競合している塾が多いのもある。夏などの講習で生徒が増える一方、他の塾に移っていく生徒も他校舎より多いらしい。

 そんな状態が慢性的に続く中、新年度が始まるこの4月から校舎長が替わった。長門先生という、この会社での勤務歴が20年を超えるベテラン社員だ。

 前任の校舎長だった伊賀先生とそう年齢は変わらないようだが、伊賀先生が細身で非常に穏やかで、いかにも「学者先生」という感じの人だったのに比べて、長門先生は長身でがっしりとした体格で、スポーツ選手か工事現場にいそうな感じのする人だ、というのが第一印象だった。

 でも、周りの先生たちにフォローしてもらいながらにせよ1年を乗り越えたという思いがあったから、長門先生が赴任の挨拶時に第一声で「この校舎のゆるんだ空気を一新し、皆さんに学習塾の社員としての心構えを叩き込みます! そうしないとココはどうしようもないんですよ!」と怒られるように言われても、そんなに大ごとには感じられず、今年は何か変わるんだろうか? 大変になるのかな? くらいの気持ちでいた。

 そして、そんなのんきな私はすぐにこの新しい教室長にロックオンされた。

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 新年度が始まってすぐの時期だが、私が担当する私立中学受験コースで、塾を辞めたいと言い出した小学6年生が3人いた。そのうち1人はお母さんを含めた3人で話し合って何とか思いとどまらせることができたが、残り2人は説得しても聞く耳を持たず、4月一杯で退塾していった。

 そしてこのことが校舎長である長門先生の逆鱗に触れた。

 長門先生は、生徒の退塾を報告に来た私に「新学期が始まったばかりで生徒を辞めさせるなんて、オマエは一体何をやっているんだ!」から始まり、「生徒が辞めそうかどうかなんて、日頃からきちんと観察していればわかるはずだろ! おかしな雰囲気があったら俺や周りの社員にどうして相談できないんだ? 早めに対策しないで辞める時になってから慌てても遅せーんだよ!」とまくしたてた。

 成人してから、こうやって頭ごなしに叱られたことはなかった。思わず縮こまってしまったが、怒鳴られても自分の力不足だから仕方がないとは思っていた。辞めたうちの1人は、結構私に懐いてくれている(と思っていた)女の子だったから、なおさら長門先生の「観察が甘い」という指摘は。身に染みた。そうかもしれない。

 私はあの子の何を見ていたんだろう? 何をわかっていたんだろう? いや、わかっているつもりだったけど、あの子は自分のことをもっとわかって欲しかったのかもしれない…。

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 そんな風にへこんでいた私に、長門先生から「次の言葉」が降りかかってきた。

「だいたいね、あんな子1人残してどーするんだよ? アレを残すんだったら、他の2人をもっとちゃんと引き止めろよ!」

 その言葉に私は正直、カチンときた。何とか説得の末に残ると言ってくれた生徒を「残してどうする」だの「アレ」だの言われたことに耳を疑った。それに、この先生は何を見て「引き止めが足りない」と言うんだろう。

 辞めたいとしか言ってこない生徒とその親に対して、私も何とか直接面談の場を設けて話そうと食い下がった。実際に1人は親子面談にまで何とかこぎつけたものの、成績が振るわないことへの失望が強くて退塾を思いとどまらせることができなかった。

 あれだけ食い下がったのに、それでも私の引き止めが足りなったのか。力不足だったのかもしれないが、それでも懸命に指導してきた生徒たちに辞められたことへのショックで打ちのめされていたところだったから、長門先生の言葉に「私だってやってるし!」と反発する感情が混ざってしまい、その場でムッとした顔をあげてしまった。

 長門先生はそれを見逃さなかった。「オマエ、何だその顔は!やることもやらないで何の文句があるんだ!ふざけるな!」

 

 しまった!と身をすくめてももう遅い。そこからさらにヒートアップした長門先生の怒鳴り声が講師室に響き渡った。

 正直そこから後のことはあまり覚えていない。時間からすると30分くらいだったが、私には2時間以上怒号の嵐に耐えていたように感じられた。途中からは流れる涙もこらえきれず、ただ泣きながらうつむいて立っていることしかできなかった。

 終業時間近くになって、長門先生の「もういい! 俺もまだ仕事があるからいつまでもこんなことに関わっていられないんだ。」という声で解放された。

 他の先生たちはパソコンやテキストから目をそらさず、席に戻る私の方を見ようともしない。誰も今は声をかけたくない、かけてはいけないという空気がありありと感じられた。そのことも私をいっそうみじめにさせた。

 荷物を片付け、何とか泣き声にならないように挨拶をして校舎の外に出る。駅までの道をふらふらと歩いていたら、若狭先生(私の二年先輩の女性社員)が心配して追いついてきてくれた。

 「上野ちゃん、大丈夫?」 私は黙ってうなずくことしかできない。若狭先生は駅までの道すがら、生徒がやめるのはよくあることだからとか、あんなに怒鳴らなくてもいいのに、昭和の体育会系はこれだからねーとか、わずかにうなずくだけの私に一方的に話して慰めてくれていた。

 駅で若狭先生と別れて電車に乗り、アパートに帰るころには腹が立っていた。ぼんやりと曖昧だった長門先生の言葉がよみがえってきたからだ。

 学生気分が抜けてないだの、君みたいなのが会社をダメにするだの、一年間仕事を学んできていないだの。よくよく考えたら、最近一緒の職場になったばかりでお互いによく知らないような人にそこまで言われるか? 何なんだあの人は?
  

 くやしさと腹立たしさでご飯もあまり食べられなかったが、翌朝には「負けずにやってやるーっ」と気持ちが切り替わっていた。こういう立ち直りの早さは、私の取り柄の一つだと思っている。

 だが、この4月の出来事はほんのきっかけに過ぎなかったのだ。

(第二話に続く)

 

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