ユニオン☆彡ガール(パワハラ編 第三話)
作 中野 甚太 監修 ゆにおん丸
長門先生に対して「パワハラ・セクハラ相談室」は何もしてくれないと知った時から、私は毎日悩むようになった。
今は会社を辞めたくない。年度の途中で受け持ちの生徒を投げ出せない。それに、また就活を始めてもうまくいく自信はないし、その間の生活をカバーできるほどの貯金もない。でも、こんなに威圧的で自分をまともに評価しない上司・顔色をうかがうだけのスタッフに囲まれて仕事をすることに意味はあるんだろうか? こんな苦しい思いをするんだったらいっそのこと会社を辞めて、アルバイトでもしていた方が気が楽なんじゃないのかな? そうしたことが頭の中でぐるぐると回り続け、辞めるか辞めないかでいつも気持ちが行ったり来たりし続けていた。
本社からのメールがあってから2週間ほど経った。相変わらず長門先生は折に触れて怒鳴り続けていたが、そんなある日、帰り支度をしていると「上野、ちょっと話がある」と長門先生から呼ばれた。またいつものお説教か・・・と思っていると、長門先生は職員室を出て行き、ちょっと離れた空いた教室に入って行った。慌てて後をついて教室に入ると、座っていた長門先生は下からじろっと睨みつけ、信じられない一言を口にした。
「おい上野、俺がお前にパワハラやっているから止めさせてほしいと本社に相談したらしいな?」
えっ何でそんなこと知っているの・・・? 本社の相談室は「秘密厳守」ってことだったけど・・? 絶句する私に長門先生は続けた。「何を本社にチクってんだよ!さっき本社の役員から俺のところに連絡が来たぞ。もっとしっかり部下を管理しろとな!お前、どれだけ俺の足を引っ張ったら気が済むんだよ!」あまりのショックで声も出なくなっていた。でも、そんな私に長門先生は畳みかけた。
「お前が俺に怒られるのは、お前に原因があるからだろ!それを人のせいにしているヒマがあったら、もっと仕事に向き合えよ! 生徒のためを思っているのかよ! 学習塾ってところはな、お客様である生徒の成績を上げて、第一志望の学校に合格させることで商売が成り立っているんだよ! 生徒のためなら自分の休みを返上してでも仕事に取り組むのが当然じゃないのか? 今のお前に『生徒第一』っていう態度で全力で仕事をしようってのが見られないから、俺がいつもムカムカさせられてるんだよ! 何がパワハラだ!」
「それは違います! 私は生徒が好きだから、生徒のことを思っているからこの会社に踏みとどまっているんです。休みが授業の準備でつぶれても働き続けようとしているのは、いつも生徒のことを思っているからじゃないですか!」と思ったことをそのまま口にしていた。あっ、と思ったけれどもう遅い。私は口にした勢いのまま、長門先生をキッと見据えて動揺を悟られないようにした。
あぁーもう、と言って長門先生は続けた。「だーかーらー お前の努力なんて全然俺の満足いくレベルじゃないんだよ。2年目で全力がこんなもんだったら、会社に残りたくてもクビにされるぞ。 あわよくば残れたとしても、上司としてオレはお前に最低の評価を出すから、そうすると給料やボーナスがかなり下がるぞ。 もっと他にお前にふさわしいところを探した方がいいんじゃないのか!」
一息だけ入れて長門先生はちょっと穏やかに、言い聞かせるように続けた。「お前、俺が何のためにこのN校舎に来たかわかっているよな。この赤字垂れ流しの不採算校舎を立て直さなきゃならないんだよ。だから校舎を立て直すために使える社員は残すけど、お前のような仕事もまともにできないどんくさいヤツは俺の邪魔なんだよ。お前はここを出ていくしか道はないんだよ。お前の働く場所はここじゃない!」
でも・・・と食い下がろうとした私に、長門先生は最後の一言をぶつけた。「上野、お前の心残りがないように生徒の担任を外すわ。夏期講習から違う人に来てもらえるようにする。有望な新人もいるしな。これでさすがに、自分が会社に必要とされている、って勘違いもしないですむな。」
苛立たしくドアを開けて長門先生が出て行ってから、私は机に突っ伏して泣いた。もうダメだ。こんなところには1秒もいたくない。自分をここまで否定するところには。一泣きして、涙も枯れてから職員室に駆け込み、自分のバッグをひったくるようにして外に出た。多分化粧もボロボロ(いつもそんなに濃くはしてないが)。他の先生たちがどんな顔で見ていようが知ったこっちゃない。駅までの道を外れて、いつもはいかない24時間スーパーの化粧室に駆け込んだ。
外から明るい音楽と、若い女の子の笑い声が聞こえる。いいなぁ、楽しそうで。一人ぼっちでこんなに悲しい気持ちになっているのは私だけなんだろうな。もういいや。これであの会社で耐える意味もなくなった。きっと、子どもたちもこんな私よりいい先生がつくよ。ごめんね、こんなできない私が担任で。もしかしたら子どもたちも、私のこと頼りないって思っていたのかもね。あー、もうボロボロだぁ。
そんなことを考え、ちょっと落ち着いたところで軽く化粧だけ直してお店を出て駅へ向かった。新しい先生が来たら引き継ぎをして会社を辞めよう。夏期講習が終わるまで仕事したらいいや。そう決心はしたけれどすっきりはせず、寂しい気持ちでまた泣きそうになるのをこらえながら帰った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・結局、新しい先生は来なかった。普通に夏期講習は始まり、私の持ち授業も減らされることなく慌ただしい日々は過ぎていった。長門先生は授業や自分の仕事で手一杯な雰囲気で、相変わらず小さなミスで怒られるが、一言怒鳴ってそれ以上は私に関わろうとしなかった。
あれから、ぼんやり求人紹介をネットで見たりすることもあったが、いつまでも次の先生が来る気配がないから申込みとかはしなかった。もしかしたら私に辞めろって言ったのもなかったことになったかな?と思っていたが、衝撃は夏期講習後にあった。
毎月25日に振り込まれるお給料とは別に、特別講習時には講習手当が出る。春期講習やGWの時にもちゃんと出ていた。でもその時よりも多くの授業を受け持ったはずなのに、夏期講習後にもらえるはずの私の講習手当が全く出ていなかった。もしかしたらみんな出ていないの? 支給される日を私が勘違いしていたのかな? と思って若狭先生に聞いてみると、ちょっと驚いた様に「えっ? 私は・・・普通に支給されてたよ」と答えが返ってきた。
その時、背後から「上野、お前の夏期講習手当はないよ。」と長門先生の声が飛んできた。驚いて振り返ると、長門先生はパソコンの画面から一瞬目を向けてさも当然のように言った。「最低評価のお前に夏期講習手当なんか出るわけないでしょ?」
その言葉を聞いて体が震えるのを感じた。わなわなってのはこんな感じか、と初めて知った。そうか。講習手当の金額は教室長の評価で決まるってことを、前の教室長だった伊賀先生から聞いたことがあった。
「・・・さすがにそれはひどいんじゃないですか!」私はついに長門先生にキレた。別にお金に困っているわけじゃないけど、この1か月以上が「タダ働き同然」にされたのはひどい。いつもの講習と同じように仕事したんだ。どうしてこれで手当てが出ないんだ? 人をバカにするにもほどがある。
長門先生は再びパソコン画面から顔を上げて、「ほらほら。そういう所だって。いちいち俺に反抗的だし、仕事はほんっとにできないし。そんな赤字社員には講習手当は出せませーんって。ただでさえウチの校舎は赤字なんだからさ。分かってるよな?」
そして、言い返そうとする私を手で制して「だから、嫌だったら辞めろって言ってるだろ!」と怒鳴ってきた。
何も言い返せなかった。この人が上司でいる間は、私は人間らしい扱いを受けられないんだ。どれだけ仕事をこなしたとしても、ただ「赤字社員」「辞めろ」しか言われないんだ。新しい先生が来ないから辞めなくていい、とのんきに仕事をしていた自分が情けなかった。そして、あまりの怒りと深い絶望感で呆然としてしまった。
さすがにこの怒りは家に帰っても、眠れないまま翌朝を迎えても収まらなかった。よし、本当に辞めよう。こんな会社でこんな上司の下でいるよりも、ちゃんと人間らしく扱ってくれるところはあるはず。午後の出社時間までに調べてやる!そう思って、しばらくほったらかしにしていた求人サイトを覗いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・検索ウインドウに「労働条件」と入れ、ある大手アパレルメーカーの名前を入れようとした時に、ふと予測検索に目が留まった。そこには「ユニオン」という文字があった。
いつもは邪魔にさえ思う予測検索だが、今回はあれ?と気になった。ちょうどさっき、何気なく見ていたテレビのワイドショーで「バイトユニオン」という言葉を聞いたばかりだったからだ。しっかり見ていなかったけど、アルバイトの立場を守るために活動をしている、労働組合のような組織らしかった。「ヤマト学院」に労働組合はないからなあ、もしあったとして、私もメンバーだったら長門先生のパワハラも何とかなったのかな、なんてことをぼんやり思ったばかりだった。
でも、よく分からないけど、今回の講習手当が出ないことに対しては何か方法があるんじゃないかな? 仕事をしたのに何も支払われないのは納得できない。もしかしたらユニオンのサイトでいいヒントがあるかな? そう思った私は、そのまま「ユニオン」という文字列をクリックしてみた。
こうして私はユニオンと出会った。
ユニオンの案内サイトには、一番上に「一人でできる!労働組合!」の言葉があった。え? だって「労働組合」って何人かいなきゃいけないんじゃないの? と思ってそのままスクロールし、食い入るようにサイトを読んだ。恥ずかしながら労働組合については何の知識もなかった。
サイトに書いてあることは、まとめるとこんな感じだった。
・労働組合は、組合員に労働上の問題が起こった時に会社と交渉してくれる。
・しかし中小企業には労働組合がないことも多い(実際にヤマト学院にもない)。
・労働組合がない会社でもユニオンを活用すれば会社と対等に交渉ができる。
ここまで読んだ私は、「〇〇市(私の住む市だ)ユニオン」で検索して出てきた「くすのきユニオン」へとすぐに電話をした。もしかしたら、この「ユニオン」なら今の私の状況を何とか助けてくれるかも知れない。ワラにもすがる気持ちっていうのは、絶対今の私の気持ちだ。そんな勢いで電話を握りしめていた。
電話に出たのは穏やかな口調の男の人だった。自分がいま置かれている状況を簡単に説明したところ、「電話では何なので、くすのきユニオンの本部で詳しい話を聞かせてもらってもいいですか」ということで日時を相談し、アポイントを取った。
でも、電話を切った私は冷静になっていた。分からないことが多すぎたからだ。
ユニオンが会社と交渉するってどうやって?
会社が交渉に出てこなかったらどうするの?
サイトには「ユニオンに加入しても不利になることはありません!」って書いてあったけど、そんなことってあるの?これで長門先生がもっと酷いことをしてきたりしないの?
そもそも、ユニオンにしろ労働組合にしろ、前もって入ってなきゃいけないんじゃないの?
もう一度ユニオンの案内サイトを見てみた。読めば読むほど勇気づけられる文だ。今の私の状況が変えられる、そんな気持ちにさせられる。でも、パソコンを閉じて出勤の準備をするとまた不安が戻ってくる・・・。この数か月の長門先生との戦いと、本社の相談室の裏切りともいえる対応で、私はただの臆病者になっていたようだ。
(第四話に続く)