eisu高校統括部が主張する「感情の共有」への危惧
eisu社員(特に高校部社員)の皆さん。それから全国の学習塾で働く塾人の皆さんへ。
前回のブログでも少し触れましたが、当労働組合は4月23日、えいすう高校統括部に質問(回答要求)を行ないました。回答期限は4月30日です。
その中で要求書の内容の一つである「統括部は今後一方的かつ配慮のない通達・業務命令・業務指示等を一切行わないことを約束し、またそれを高校部社員全員にメール配信し周知させること」を履行するよう強く要求したところ、25日に高校部全社員に配信されました。
内容については統括部の責任の所在や今までのマネジメントへの反省等が記載されていないなど不満のある内容でしたが、これも高校部の職場環境の改善を進めるための第一歩だと当労組は思っています。
気になる『感情の共有』という言葉
さて、今年の2月以降、当労働組合はえいすう高校統括部に何度か質問書による回答要求を行なってきました。その中に一つ気になるワードがあります。それは『感情の共有』という言葉です。
思えば、高校部内で2月5日に実施される予定であった全体会議が中止された時、統括部幹部から高校部社員に会議中止を伝えるメール文中には「会議を実施するにあたり、ZOOM等の非対面方式で行う手法もあるかと思いますが、画面を通してでは情報や指示系統の共有はできたとしても、一番重要な感情の共有ができません」と書かれていました。高校部の現場で働く方と話をしていても『感情の共有』という言葉をたびたび聞きます。
また統括部からの2月6日付の回答文書の中にも、統括部が対面式の会議にこだわる理由として「リモートでは単なる情報のやり取りに終始してしまい。参加者のモチベーションを上げたり、言語化しにくい情報を互いに読み取り合ったり、踏み込んだ議論やメッセージのやり取りがしにくかったりなど、いろいろな問題点も露呈し、どうしても対面での会議は無くすことができないという結論に達しています」と説明しています。
回答文中の「参加者のモチベーション~メッセージのやり取り」の部分がどうやら統括部の言う『感情の共有』ではないかと推測できます。なお下線部ですが、3月3日の団体交渉ではZOOMによる高校部全社員を対象としたリモート会議は実験的にも一度もやっていないこと。また検証もしていないことを団交に出席した高校統括部の幹部が説明しています。
すなわち統括部が回答で主張するように「いろいろな問題点が露呈し、どうしても対面での会議は無くすことができないという結論」はウソだということが明らかになっています。
『感情の共有』という言葉への素朴な疑問
現在のコロナ禍の中でも、高校統括部は現場社員と『感情の共有』を図るため、どうしても多数の社員を集めた対面式会議が必要である。リモート会議では『感情の共有』がうまくできないので業務に支障をきたすとの考えのようです。
素朴な疑問ですが、統括部が言うように会議において「感情の共有」は本当に必要なのでしょうか? もし会議で「感情の共有」ができないと著しく業務が停滞し支障をきたすことがはたしてあるのでしょうか? また今のコロナ禍において多くの社員を集めて会議を開催する理由として「感情の共有」は正当化できるのでしょうか?
そこで学習塾以外の業種(大手メーカー・商社・IT・金融など)で勤務する古くからの友人(部長、課長、マネージャーなどの管理職、経営者もいます)にこの点について意見を聞いてみたところ、次のような意見が集まりました。
『会議で会議で感情を共有しないと業務が進められないということは絶対にない。どうしても特定の部下と意思の疎通が必要ならばその人たちをピックアップしてメールや電話等で直接やり取りすれば済むことだし部下には会議の前に必要な資料をあらかじめメール等で渡し読み込ませてプロジェクトについての考えや問題点などをまとめてもらう。それをリモート会議に反映させればスムーズに進められる。えっ!会議に使う資料を当日その場で渡す? じゃあ部下は会議の資料をもらうためにわざわざ集まるの? そんな会議やる意味あるの? それ管理職の怠慢だし、そんな無能な管理職ならうちの会社では即窓際行きだね!』
『もう1年以上リモート会議を実施してる。リモートだと会議で使う細かい資料をあらかじめ作成して部下にメール配信したり会議後の文書や資料作成など手間はかかるが、リモートだからといって不都合なことはまずない。リモートでは感情の共有ができない?なにそれ?部下と感情を共有したいなら会議以外の場でするのが普通と違う?』
『リモート会議には最初、いろいろな懸念や問題点もあったが、昨年からの1年間で課題はすべてクリアし全社で共有している。コロナの収束後もリモート会議は継続していくと思っている。コスト削減と生産性向上のためこれからも絶対に必要になる。現況従業員のコロナ感染対策としてもリモート会議は必要。感情の共有云々以前の問題。この部門のトップは頭がおかしいのでないか?やるべきことの優先順位が間違っている。それにコロナ感染へのリスクマネジメントもできていない会社もおかしい』
『部下と感情を共有するためにこのご時勢に多数の部下を集めて会議する?この管理職は何を考えているのか。そもそも会議になぜ感情の共有が必要なんだ。部下との感情の共有ならそれ以前(会議以前)の問題だろう。この管理職は普段から部下としっかりコミニュケーション取ってるの?(取れてないから労使紛争になっていると言うと)そんな部下とまともに向き合えないマネジメントもできない管理職は会社にとってお荷物。早く取り換えた方が会社のためでもあるし、部下のためにもなる』
『会議は業務タスクを円滑に進めるため、その必要があるから行う。部下との意見のすり合わせや合意形成等は会議の前に個別で行うのが常識。これに手を抜くと会議そのものが進められない。これはリモートだろうが対面会議だろうが同じ。あらかじめ会議前にしっかり準備しておけばリモートでもこちらの意図を部下にしっかり落とし込むことはできるし、実際それで大きな問題が発生して支障をきたしたことは一度もない。君の会社の管理職は会議の進め方をまるで理解できていないようだ。会議を進めるために自分が何をどうすべきかまったくわかっていない』
『君の会社では従業員のコロナ感染リスクよりも部下との感情の共有のほうが大切なんだ。もし会議が原因でクラスターが発生したら管理職やトップはどう責任とるの?取引先企業の従業員や顧客に対するコロナ感染対策の内容や実施状況は金融機関でもチェックしている。対象が顧客だろうが自社の従業員だろうが、コロナ感染対策がいい加減な会社は金融機関から信用なくすよ。こんなんでクラスターにでもなったら会社の信用は一発でなくなる。君の会社の管理職はそんなことも理解してないのか』
という意見をもらいました。中には辛辣な意見もありますが、これを読んでいる塾人の皆さんはどう思いますか?客観的に見ても統括部の主張は他の「普通の」会社の常識から考えても明らかにズレていると思います。
統括部はあくまで『感情の共有』のために対面式の会議は必要であるという考えですが、対面式で実施される高校部の全体会議は「社員のモチベーションを上げたり、互いに言語化しにくい情報を読み取ったり、踏み込んだ議論やメッセージのやり取り = 感情の共有」は実際ほとんど行なわれていません。
つまり、統括部の主張する現場社員との『感情の共有』も実際には行なわれていないという事実も、団体交渉に出席した高校統括部の幹部が説明しています。したがって、コロナ禍であっても『感情の共有』のために対面式の集団会議がどうしても必要であり、リモート会議では『感情の共有』ができないという統括部の主張は事実上破たんしています。
2つ目の素朴な疑問ですが、もし統括部が言うように、高校部職場において統括部と現場社員との間にしっかりと『感情の共有』ができているのなら、今回のような労使紛争は起こらなかったのでは?
最後に3つ目の素朴な疑問ですが、現在えいすう高校部では大手衛星予備校を導入しており、ライブ授業は原則行われていません。生徒はDVDによる映像授業を受けています。ある意味これは授業の「リモート化」とも言えます。
先生と生徒が直接対面する授業ではなく画面を通しての映像授業なので、統括部の主張をそのまま当てはめると、当然先生との『感情の共有』などできるはずはありません。
統括部が主張するように、画面を通してでは「感情の共有」ができず、意図が正確に伝わらず、モチベーションも上がらないのなら、統括部は自ら映像授業の効果を否定していることになると思いますが、これは極論でしょうか?統括部は生徒と社員とは違うと明確に説明できるのでしょうか?
もし受講生の成績が上がらなかったり、志望校に合格できなかったりしたら「あなたは映像授業の先生と『感情の共有』が出来てなかったから駄目だったんだ」と説明するつもりなのでしょうか?
『感情の共有』という言葉への危惧
高校統括部の主張する『感情の共有』というのはかなり抽象的な言葉です。どのような意味にも取れるし、言葉自体に悪いイメージはありません。でも労働組合の立場で考えると、こうした抽象的で耳ざわりの良い言葉には少なからず警戒してしまいます。
なぜなら多くのブラック企業において、こういう言葉が従業員を洗脳して過酷な労働を強いるために使われているケースをたくさん知っているからです。
ところで、当労組は統括部の主張する『感情の共有』の意味について次のようにとらえています。ただしこれはあくまで現時点での当労組による見解となります。
統括部の言う『感情の共有』とは、統括部の下で、高校部で働く社員同士が直接顔を突き合わせて意見や情報を交換したり、議論したり、励まし合ってモチュベーションを高め合い、目標必達のために協働すること。
しかしながら、実際に高校部で働く現場社員からの情報や、回答文、団体交渉で明らかになった事実を知ると、統括部の言う『感情の共有』がどうしても上記のような意味では使われていないように思えてきます。
では『感情の共有』というワードを、統括部は高校部職場においてどのように使っているのか? このワードに固執する理由は一体何なのか?
当労組は、もしこのワードが、現場社員に統括部からの指示や命令に有無を言わさず従わせるための論理として使われたり、統括部の方針等への異論や反論、批判を封じ込めるための論理として使われているとしたなら、かなり重大な問題をはらんでいると考えます。
一見すると『感情の共有』というワードは、ブラック企業によくありがちな「仕事を通して成長しよう!」「仕事を通して人間性を高めよう!」「仕事で自己実現を図ろう!」「仕事はお金を得るための手段ではない!」のようなエキセントリックな言葉とは違いますが、使われ方によっては現場社員に対する一定の同調圧力、同意(合意)圧力として機能する場合もあります。
たとえば統括部の方針や業務命令等に問題があり、職場内で異議を唱える人がいたとして、統括部幹部から「あなたは他の社員と感情の共有ができていない」「他のみんなは感情を共有できているのに、あなただけはできていない」と言われたり、「あなたは他の社員ともっと感情の共有をすべきです。感情の共有ができないならこの職場にいる意味はない」と注意されたらどうなると思います?
大抵の人ならそれ以上反論できずにしぶしぶ従うのではないでしょうか。日本人は良くも悪くも「常にまわりの目を意識し、周囲の意見や行動にできるだけ合わせる」民族です。
したがってたとえイメージの良い言葉であっても、もしそれが高校部職場内で、統括部からの一方的な指示・命令への同調圧力や同意(合意)圧力として機能しているとしたら、職場環境はかなり危険な状況であり、当労組としてもこれを見過ごすことはできません。
高校統括部への回答要求
4月23日、当労組は高校統括部に対し以下の質問(回答要求)を行いました。なお質問③統括部の主張する『感情の共有』の意味や目的については、27日に追加で回答要求を行いましたが、28日に高校統括部幹部より、業務多忙のため回答期限を1週間延長してほしいとの申入れがあったので、質問③のみ5月6日としました。
【質問①】
3月23日付の統括部の回答では『2021年度4月以降~実験的にZOOMを主体とした会議実施を計画している』とあり、これに関する細かな内容が説明されています。しかしコロナ感染者が急増していた4月半ばにも高校部管理職社員を集めた対面式集団会議が実施されている。
4月以降、一度でも高校部全社員を対象とするリモート会議を実施しているのか?3月23日付の回答書にあるように、今後高校部で管理職会議や全体会議をリモートで実施するつもりがあるのか否か、リモート会議を実施するならいつからどのように実施するのかを詳細かつ具体的に回答されたい。
【質問②】
現在の高校部職場の問題は、高校部トップおよび統括部と現場社員とのコミニュケーション不在、相互不信にあると当労組は考えている。
そこで統括部は現場社員との関係や信頼の再構築についてどのような方針を持ち、そのためにどのような方法を取っている(今後取るつもり)のか? 詳細かつ具体的に説明されたい。
【質問③】
高校統括部の言う「感情の共有」とは具体的に何(どういうこと)を表すのか?また統括部は高校部職場内において「感情の共有」という言葉を用いて何を目指すのか?詳細かつ具体的に説明されたい。
回答期限は①と②は4月30日。③は5月6日です。統括部の回答が揃い次第このサイトで開示します。